モラハラはエスカレートする。結婚したら、子どもがうまれたら変わると祈ってもぜったいムリ

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結婚

自信をもって言いますが、モラハラ人間は変わりません。

人間の本質って変わらないですよ。そう簡単に変わるもんじゃない。

まして、モラハラって自己愛性人格障害なんだから、病気なんだから、被害者である妻がいくらがんばったってなおるわけないんですよ。

たまに、モラハラ夫をなおす方法とかカウンセリングや治療プログラムでなおすとか聞くけど、わたしは信用できません。
レントゲンとかMRIとかで分かるものじゃないんだから、仮にモラハラという症状が一時的になくなったからってなおったわけじゃないです。

ネットの質問なんかで、彼氏がモラハラとか、モラハラっぽいけど結婚しようか迷ってるとかぼやけた相談をしている女の子を見かけるけど、知り合いだったらどんな手を使ってでもやめるように全力で説得します。

なんで、結婚してないうちにモラハラを発見するという幸運な身の上なのに結婚しようとするのか。

一度結婚したら、離婚するのは何倍ものエネルギーがいるってよく言うでしょ?

ふつうの離婚でもそうなのに、相手がモラ夫だったら離婚するのはその何千倍も大変になりますよ。

実際、モラハラがよくなるかもと期待しがちな、ライフステージの節目節目で逆にひどくなるのが現実です。

わたしがまだ、モラハラがおさまっていくことに希望をもっていたころの歴史を振り返ります。

結婚したらモラ夫は変わると期待した

交際中に何度か違和感を感じることはあったけど、ザ・モラハラというようなできごとが起こったのは結婚直前だった。

結納をすませ、結婚式をあげるより前にモラ夫の転勤について行き県外で同居をはじめたわたしたち。

新居に必要なものを買物に行ったり、新しい土地での食べ歩きを楽しんだり、結婚間近のうかれた気持ちは、はじめてのモラハラ爆発でどん底に落ちてしまった。

「どうしよう、どうしよう…。」
わたしはとにかく、週末ごとに結婚式の打ち合わせなどでモラ夫と話し合わないといけないことがいっぱいあるのに、口を聞いてくれない状態にあせっていた。

あんなことでこんなに怒っているモラ夫は異常じゃないかと思うし、モラ夫はここまで激怒させたわたしと結婚するのなんてやめようと思ってるかも。

折を見てゴメンと謝っているのにモラ夫から何日も無視が続いている状態で、招待状を送っている結婚について親や親せきや友だちから電話やメールがきたりするのに対応するのもつらかった。

今さら結婚をやめるなんて、わたしにそんな度胸はない。

だけど、まずは2週間後に迫った結婚写真の前撮りまでにモラ夫の機嫌がなおる気がしない。どうしよう。
ゼクシィなんかを読んでると、節約のために前撮りをしないで当日撮りをする人もいるらしい。

とりあえず、当日撮りにしますと変更することでこの場の危機をしのごう。そう思って前撮りのキャンセル電話を入れた。

結果的に、モラ夫は何日かでふつうに戻って話しかけてくれるようになった。
前撮りのキャンセルについては、当日撮りがトレンドらしいと説明したら納得したのでとくに問題にはならなかった。

わたしは、モラ夫はちょっと気むずかしい人だけど、ちゃんと機嫌をなおしてくれたし、このぐらいの欠点は認めないといけないと自分に言い聞かせた。

それから結婚するまでにも、何度か「え?」と思うようなこともあったけど、ひどい言葉や暴力的ということは全然ないので深く考えずに流していた。

それに、結婚したら他人じゃなくなるんだし、恋人気分も抜けてそういう思いやりのない行動はしないだろうと楽観的に考えていた。

子どもがうまれて父親になればモラハラはなおると期待した

結婚式は幸せなムードで終わり、夫婦としての新生活がはじまった。

依然としてモラハラという言葉は知らないころで、おおむねハッピーな毎日を過ごしていたけれど、すでにモラ夫の時々起こる不機嫌や無視に心が曇る日があった。

わたしもモラ夫も、子どもはすぐにほしいと希望していて、願いどおり結婚式の2ヶ月後には妊娠が分かって大喜びした。

つわりがひどく、横になる日々が多いまま季節は過ぎ、やっとつわりが終わって安定期に入ると、わたしはパソコンや簿記の資格を取るために近所のスクールに通いはじめた。

この時期も、モラ夫は月に1~2回は不機嫌や無視を発動して、心を痛めることも多かったけど、知らない土地でもスクールの友だちができたことで気がまぎれていた。

いま思い出したけど、スクールに通う道すがら、近所のビジネスホテルをいざという時の避難先にしようとチェックしていたのもこの頃。
自分のことながら、20代の初妊婦のときにそんなことを考えていたなんて自分がかわいそうすぎる…。

お腹が大きくなってくるとモラ夫も子どもの誕生を楽しみにしているようだったけど、どうしても妊婦に対する想像力や思いやりに欠けている気がした。

でも、男ってそんなもんかな。

子どもがうまれたら、モラ夫は父親の自覚をもってくれて、子どもじみた不機嫌や無視といった行動はしなくなるだろうと期待した。

家を買ったらモラハラ空気が変わるだろうと期待した

リビング

子どもたちが赤ちゃんのころも不機嫌や無視はあったけど、2年おきに転勤もしていたし、育児にてんてこまいでモラハラ事件は少なめだった。

だけど、子どもが幼稚園や小学校に行くようになって少し手が離れてくると、モラ夫はお金のことでモラモラしてくることが多くなっていった。

最初は直接わたしを攻撃するような言い方はせず、サラリーマンは稼げないのに社長や医者や自営業など高収入の人たちはずるいというような愚痴だった。

わたしにはどうすることもできない愚痴だし、妻としては同調したりそんなことないよと励ましたりして夫を気持ちよくさせればいいんだろうけど、うらやましがるのではなくて「ずるい」と妬みを表現するのがイヤだなぁと感じた。

また、職場で共働きの同僚がダブルインカムだからよゆうで家を買ったという話をこれみよがしにしてきたりするのも、専業主婦のわたしには肩身がせまくなる思いで苦しかった。

そもそも、モラ夫の収入はサラリーマンとして平均以上の額だったし、何がそんなに不満なんだろうと不思議だった。

あとになって思えば、あれは、給料が少なくて節約しないといけないから妻にお金を渡せないという体(てい)で妻に経済的DVをすることのフラグだったんだろう。

そんなこんなしながらも、モラ夫がそろそろ家を買おうと言い出した。
子どもがあまり大きくなるまで社宅住まいだと実家とかふるさととかの意識が育たないから早い方がいいという持論だった。

モラハラというDVが世の中にあることをまだ知らなかったわたしは、家を買ってせまい社宅から引っ越しした新生活では、モラ夫もわたしも意識が変わって明るい家庭になるかもしれないと、なんの根拠もなく期待した。

単身赴任したらモラハラの苦痛から解放されると期待した

注文住宅が完成するまでもいろいろと大変なことはあったけど、新しい家で生活を始めてしばらくはモラ夫も機嫌がよかった。

引っ越し直後は、モラ夫の職場の人やわたしの親せきなど、遊びに来る人も多かったので、来客が好きなモラ夫は生き生きしていた。

家族を同席して人に会うのは、モラ夫が家族を大切にするいい家庭人であることをアピールする絶好のチャンスだから、モラ夫はかいがいしく動き回って接待をする。
そして人前でわたしのことをベタ褒めする。
いいかげん、モラ夫の二面性に吐き気がしていたけど、機嫌がいいのはいいことだった。

だけど、新しい家での生活が落ち着いていつもの日常になってくると、また、子どもたちがますます成長して自分の世界を確立していくと、モラ夫の興味はわたしに集中するようになった。

このころモラハラという言葉を知り、モラ夫はわたしに長年モラルハラスメントをしていたんだと分かり、絶望した。

だけど長年専業主婦で子どももまだ小学生のわたしには、経済的にモラ夫に依存するしか家に住み続ける方法はなかった。

経済的DVは受けているけど、少なくても住む家があるだけマシだと思ってたし、モラ夫が単身赴任になったらもうモラハラされる機会も減るから、なんとか生きていけるだろうと期待した。

念願かなってモラ夫は単身赴任になったけど、その後さらにモラハラに苦しめられるようになったのはこのブログに書いてきたとおり。

結論・モラハラはなおらない

われながら、なんておそろしいモラ夫とのヒストリーだろうと震えます。

だけどこの歴史をもとに未来を予想すると、モラハラは死ぬまでエスカレートするんだということがあらためて分かります。

モラ夫から逃げて本当によかった。

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