モラハラ脱出の当日の物語・友だちの応援のおかげで今がある

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いつもいつも、モラ夫からこう言われてました。

「オマエは友だちに嫌われている。迷惑に思われている。」

わたしは友だちが多いほうでもないと思うけど、
幼なじみ、高校大学からの友だちなど、長くつきあっているいい関係の友人は何人もいます。

最初は、仲よしの友だちがたくさんいていいねと
わたしの長所だねとほめてくれてたはずのモラ夫だったのに、
いつのまにか友だちと思ってるのはオマエのほうだけだと
わたしに忠告のように言ってくるようになっていました。

わたしは、そんなバカなことはないと困惑し、
モラ夫こそ友だちが少ないからそう言って優越感を感じたいんだろうと本気にしなかったけど、

「友だちがいい人ばかりでだれも指摘しないから気づかないんだな」
などと何度も何度も言われていると、
そういうこともあるのかもしれないなんて不安に思うこともありました。

モラハラ夫の特徴として、友だちがいないということがあげられるのですが、
「友だちがいない」
「嫌われてるのでは?」
というモラ夫自身のコンプレックスを妻に投影していたんだなと今ではわかります。

モラ夫にマインドコントロールされ、友だちづきあいを断絶しないで本当によかった。

わたしは残念ながら人生の伴侶に選んだモラ夫には大切にされなかったけど、
つかず離れず人生をともに歩んできた友だちには、モラハラ脱出をおおいに助けてもらいました。

モラハラにつかまる以前のあなたの姿を知っている友だちは、
人生において大切な財産です。

どうか、モラ夫がどんなに巧妙に友人との関係を断つようにしかけてきても、
友だちとの縁を絶たないよう、細くでもいいからつながっていてください。

回想・モラハウス脱出の日

前に脱出の日の動きを書いたけど、
助けてくれた友だちの恩を忘れたくないので再度ていねいにあの日のことを記したい。

朝9時、高校時代の友だちがまず2人車に乗りあわせてやってきた。
いまの住まいは地元ではないけど、隣県なので同じ地元の友だちも何人かはいたから。

上の子は家を出ることを告げてから心を閉ざしてしまい、
とうとう荷づくりをしないままだった。
そのため、子ども部屋のすべての荷物をまとめるのに30分以上かかることになり、そこは1人にまるまるお願いした。

もう1人にはあらかじめ玄関まで運んでおいた荷物を次々に車に積んでもらうようたのんだ。

続いて大学時代の友だち1人がやってきて、車が3台になった。
この友だちは他のメンバーと初対面だったけど、今日はミッションを敢行する同志としていっしょに動いてくれた。

ひとまず、車2台にいっぱい積みこんだところで、わたしと友だちの2人だけで一度新居へ運ぶことにした。

団地のせまい階段を5階まで何度も運んでいる最中に、高校時代の友だちがもう一人新居のほうへ到着した。
さらに、つい2~3年前に知り合ったママ友も手伝いに来てくれた。

宅配便など荷物が届いたりする予定もあるので、新居にいてもらうチームとして、できるそうじや片づけをしてもらうことにした。

そして、車2台でいったんモラハウスに戻り、すっかりガランとなった子ども部屋からまとめた荷物を出して車に詰めこんだ。

2回目は車3台になり、荷物の積み忘れがないことを確認して4人みんなで新居に移動。
新居では合計6人でせっせと5階へ荷物を運び上げた。

必要最低限の荷物のつもりだったけど、もう二度とあの家に入ることはできないから
わたしと子どものモノは一つ残らず持ち出したということもあり、かなりの量になった。

もっと子どもが小さかったら荷物の量は全然少なかっただろう。
中学生にもなると勉強関係や部活関係のモノがものすごく増えるから大変だった。

それでも、人手が多かったこともあって、お昼には引っ越し完了。
みんなで近くのコンビニに行き、お昼ご飯を買って新居に帰って食べた。

このときにはまだテーブルもなくて床でみんなで食べたんだけど、
こんなときなのに遠足でもしてるかのようにみんなで笑って食べた。

新居は前に比べてせまさ古さのギャップがすごいのに、
友だちは誰ひとりとして「かわいそう」とか「ホントにいいの」とか言わず、
わたしの明るい未来への一歩が成功したことを祝ってくれた。
わたしはその明るさがとてもうれしかった。

昼からは荷ほどきしたり配置や収納を手伝ってもらい、
そのうち4人は幼稚園など子どものお迎えがあるということで早めに帰った。

時間の制限のない1人が、最後まで残って手伝ってくれた。

わたしのタイムリミットが、子どもが学校から元の自宅に下校する時間だったので、
そろそろ新居をいったん出ようと友だちを車に乗せて元家へ向かうことにした。

そのとき、友だちがわたしに「これ、少ないけど。」と、封筒をわたしてくれた。

お祝い

「御出発祝」と書いてあるご祝儀袋に3万円もの大金が入っていた。

わたしは友だちの気持ちがありがたすぎて涙をこらえきれず、ありがとうありがとうと泣いて伝えた。
2人ともわんわん泣いて、しばらく車を出発できずにいた。

暗いみじめな夜逃げのような引っ越しなのに、
明るいご祝儀袋に「御出発祝」と書いたセンスが、
長年つきあってきた分かりあえる関係だからこそのものであってうれしかった。

ひとしきり泣いて、2人でこれからの人生幸せになろうねとはげましあってハンドルをにぎった。
元の家の車を運転したのは、このときが最後だった。

わたしはこのときのお金をずっとお守りのようにもっている。

モラ夫が婚姻費用をなかなか払わなかったので不安になったこともあったけど、
脱出から3ヶ月で婚姻費用調停が終わりお金をもらえるようになって生活は安定した。

だから、この3万円は今でも大切に大切にとっている。

いつか友だちに恩返しをしたいけど、まだ子どもの学費がかかっている間はかえって気を使わせるかもしれない。

だから、子どもが無事に巣立ったら、友だちを旅行か食事に誘って、
あのときはありがとうと新しい封筒に入れてお返ししたいと思っている。

だって結婚式のご祝儀にも3万円もらったのに、離婚でも3万円もらうって聞いたことない(笑)

いつかお返しできるタイミングがきたら気のきいた言葉をそえて渡したいんだけど、
時期的に「還暦祝」なんかになってしまうかもしれないな。

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