子どもが社会人になるのを待つのではなく、一年後には別居をするんだ!
今回は、そう決意してから、どういうふうに準備を進めたのかを紹介します。
まずはモラハラを受けて逃げ出した人の体験談をブログでたくさん読んだ。
すると、脱出の方法や準備についての情報もいくつか見つかった。
そうして分かったのは、まだ手のかかる子どもがいて、妻の収入が少なくてお金の不安がある人でも、別居後の生活はなんとかなるということ。
モラ夫に婚姻費用(生活費)を請求することは法的に可能で、離婚したらひとり親支援制度など各種手当を駆使すれば生活は成り立つから。
では、別居に向けてのはじめの一歩とは?
わたしの場合どうしたか、これから書いていきますね。
脱モラハラのはじめの一歩
まず、いつ引っ越しするのかを決めた。
実家に帰るつもりはなく、子どもたちの校区を変えたくなかったので、元の家から近くなってしまうけど校区内での引っ越しに決める。
小学生の子どもたちの長い夏休みの間に、引っ越しやモラ夫対策のゴタゴタを済ませたいと思った。
そうすると、ちょうど一年後になる。
けれど、よくよくイメージしてみると、夏休みの家族旅行やお盆休みの実家への帰省など、夏休みの前から計画が必要で、モラ夫との苦痛な対話や調整がはじまることに気づいた。
夏休みにモラハウスから逃げ出すとして、それは旅行の前なのか後なのか?
お盆の後の引っ越しだと、夏休みが終わるまでにゴタゴタをすませるには日数が少なくないだろうか。
かといって、夏休みに入ってすぐ、旅行やお盆実家帰省の前に脱出したら、実家への説明や旅行のキャンセル代などモラ夫をさらに怒らせる要素が増えないだろうか。
脱出計画していながら何も言わずに旅行や帰省の予定を入れたわたしを激しく責めないだろうか。
そう考えるといつも鬼の形相で怒り狂うモラ夫が頭に浮かび、足がすくんでしまう。
夏休みではダメだ……!
でもそこから延ばすと今度はクリスマスやら年末年始やらイベントがある。
じゃあいっそ早めて春休み?
でも春休みはけっこう短いし、そんなに早めると準備がまにあわないかもしれない。
考えた結果、子どもの習い事や学校の行事などを考慮して、夏休み前の一学期のうちに脱出しようと決めた。
この時点で、あと10ヶ月と決定。カウントダウンが始まった。
脱出日を決めてから準備したこと
まず一番にしたことは、友だちに計画を打ち明けること。
もちろん、ぜったいにモラ夫に知られてはいけない。
また、大げさだと信じてくれなかったり、ガマンが足りないととらえて共感してくれないような人には相談はできない。
心から信頼し、確実にわたしの味方になってくれると思った友だち数人に、これまで実はモラハラに苦しんでいたことや限界に達して家を出る決心をしたことを告げた。
友だちはみんな驚いたが、全面的にわたしを信じ、認め、応援してくれる人ばかりだった。
なかには泣いてくれる友人もいた。
今こうして回想して書いていても泣けてくるほどうれしかった。
「親に相談して協力してもらっては?」
と言われることもあったが、その選択肢はなかった。
わたしは小さいころから親に心配されることが苦手で、つらい姿やかっこ悪いところを見せないようにしてきた。
こういうところにモラハラを受ける原因があるのかもしれないが、因果関係はわからない。
とにかく、親にだけは言えなかった。
結婚してからずっと、幸せでなに不自由なく暮らしているように見せてきたのに突然どうした? ってなるに決まってる。
それに、ぜったいにモラ夫と話し合うべきだと言い出して、その結果脱出するチャンスを逃がすことになるだろう。
親には秘密裏に動き、完全に家を出てから事後報告しようと決めた。
家計を整理する
うちは毎月モラ夫から生活費を振り込まれるスタイルだったので、給料口座はわたしは管理していない。
だが、振り込まれるモラ夫名義の口座から、光熱費などが振替られるようになっていて、その口座の管理はしていた。
まず、子どもの学校関係の引き落とし口座を変えた。わたしが持って出れるように。
そして、携帯電話の名義がモラ夫になっていたので、自分へ名義変更をした。
ケイタイは本人でないと今後のプラン変更や解約などができなくなるからだった。
携帯会社によって名義変更のルールがあって、わたしが使っていたソフトバンクは毎月1日だけおとずれる契約変更日に変更をすることで料金に影響なく変えられるというものだった。
名義変更にはモラ夫の委任状がいるので、あやしまれたり機嫌が悪かったりすると引き受けてくれないおそれがあった。
わたしは、単身赴任で離れているのにケイタイの問い合わせがすぐできないと不便だから、と理由をつけて委任状を書いてもらい、無事に名義変更した。
また、自分の裁量でやめられるものを解約していった。ダスキンや生協など。
毎月生活費から5万円を保険や税金の年払いのためにストックして積立貯金していたが、それもストップし、引っ越しのための資金として貯金した。
さらに、浄水器のカートリッジ交換や換気扇・エアコンのクリーニング、ピアノの調律など、もう住まない家のメンテナンスは一切やめて、その費用や時間を別居準備にあてた。
引っ越し日が近づいてくると、調味料やシャンプーやティッシュなど、食品日用品の買物もしないようになった。
1~2ヶ月前になると、洗剤を買うのも最後かな…と思ったりして、そのたびに胸がギューっとなった。
モラ夫所有のものではない家の不用品もドンドン処分していった。
モラ夫に不審がられるといけないので、片づけに目覚めたという設定にして、押し入れの中などパッと目につかないものを中心に処分をすすめた。
弁護士に相談し、依頼する
脱出の2ヶ月前、モラハラ対策セミナーで知り合い、先に脱出を成功させた人から法律事務所を紹介してもらった。
そこでまずは無料相談を受け、即日契約した。
その日から弁護士さんへいつでも電話やメールで相談できるようになり、引っ越し日が決定したらモラ夫に送りつける文書を手配するので教えてくださいということになった。
引っ越し先のアパートを契約する
校区内で、家賃が安くて、適当な間取りで…となると、なかなか見つからないと思ったので、脱出の半年ぐらい前からネットで物件を調べていた。
SUUMOに条件を登録してお知らせメールが届くようにもしていた。
真剣に選び始めたのは脱出の3ヶ月前ごろで、一度問い合わせのメールを送ったところ、個別に物件を見つけてメールしてくれるようになった。
そして2ヶ月前になり、ついに実際の内覧をお願いし、不動産事務所へ足を運んだ。
DV夫から内密に脱出して母子で住みたいという状況を相談すると、親身になって物件を探してくれた。
そしてついに、新生活をスタートする家を契約した。
もう後戻りはできないと実感し、達成感がハンパなかった。
モラ夫への態度はフラットのままで
こんな家出て行ってやると決めてから、モラ夫に何を言われても今まででは違った感覚で受け止められるようになっていた。
子どものことや夫婦の将来のこと、夏休みやその先の旅行の話題、家電や家具などの買い替えや家のメンテナンスの話など、そういうちょっと先のことを話されても、わたしにはまったく関係ない未来の話なのでテッキトーに流すようになった。
モラハラされている妻ならわかる、自分が上に立ちたいがための妻を見下したバカにするようなニュアンスの発言も、
ふーん…。と聞き流すどころか、今後こんなマウンティングもできない生活にモラ夫が耐えられるのだろうかとあわれにすら思った。
モラ夫の機嫌がいいときは、ウキウキと家族であんなことしよう、こんなことしようと提案してきたり、早く単身赴任が終わらないかな~となかよし夫婦のような会話をもちかけてくるのがおかしくてたまらず、
ププ…バカモラ夫め。と心の中で舌を出していた。
ただし、そんな感情は一切さとられないように、感情の起伏を出さず、否定もせず過度な同調もせず、淡々とモラ夫に対応していた。
この時期が、モラハラDVに遭っていると自覚してからいちばん、モラ夫と対等にかつ平穏に接することができていたと思う。
コメント