モラ逃げ別居で地味に困った学校の旗当番問題

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旗当番

公立の小学校や中学校では、通学路の交通要所で「旗当番」というのがあります。

年に何回当番が回ってくるのかは、学校によってまちまちのようです。

うちの子たちの小学校では月に1日と春秋の安全週間1週間ずつという程度で、少ないほうではないかと思います。

立ち番をする場所は、校区の中で数か所ある交差点の横断歩道でした。

そして、そのポイントがある地区ごとに、1か所につき2人が立ちます。

生徒数1000人ぐらいの大きな小学校だったので、旗当番は希望制でじゅうぶん回っており、わたしは子どもたちがそれぞれ1年生の時に希望して2~3回立ったのみでした。

蛍光色のジャンパーや旗などの一式セットはペアで立つ当番のどちらかひとりに回ってくるんですが、その時はなぜかうちが受取り係でした。

中学生になっても、規模が縮小されているものの旗当番がありました。

生徒数が半分ぐらいに減るからなのか、中学校では年に1回必ず回ってくることになってました。

別居したとき、下の子は小学6年生だったので旗当番の問題はありませんでした。

しかし、上の子は中2。

中1の時には旗当番を経験していましたが、なぜか旗当番セットの受け取りがまたうち(元家)だったんですよね。

年度のはじめにもらう旗当番表に代表マークが勝手についていて、でもまあ中1の時はそれでなんの問題もなかったんですよ。

ところが、中2でも当たり前のようにうちにマークがついていて、(なにこれ順番じゃなくて小学校から引き継ぎなんだ!)とモヤッとしたものです。

そして、中2の1学期に別居開始して住所が変わったわけなのですが…。

中学校の事務室で住所変更手続と、担任の先生へ特殊な事情での引っ越しで住所が変わったことの報告はすぐにしました。

だけど、旗当番については、PTA活動の範疇なので学校から自動的に連絡してくれることはありません。

少し気になりはしたものの、なかなかPTA委員さんの連絡先がわからずそのままにしていました。

ようするに、元の住所の近くの交差点に立つという仕事はできないわけです。

まあ、同じ校区だから行けなくはないけど、仕事には遅刻になるし、引っ越して遠くなったのにそこまでしなくちゃいけないかなと疑問で。

なので、どうにか誰かのつてをたどって地区委員さんへわたしは引っ越したから他の人に替えてくださいと言おうと思っていました。

しかし、ブログに書いてきたように、その中学生の息子は元家にもどってしまってモラ夫との生活で定着してしまった。

そうなると、息子の世話をするのならPTA活動もモラ夫が責任もってめんどうみてください、ってなりますよね。

当然旗当番だってモラ夫がするべきなので、委員の人に連絡する必要もなくなったと判断しました。

だって子どもが元家に住んでるのはまわりの友だちにはまるわかりだから、引っ越したからできませんって言うのもおかしいですからね。

ウソ言って当番逃れをしようとしてるなんて誤解されたら、息子がかわいそうですもん。

だけど、わたしは担任の先生に連絡を取っていたし、なんとなくそのことを知っている息子は「学校のことは母親に」と思ったのか?

旗当番の日が近づくと、個別にもらう「〇日旗当番お願いします」というお知らせを、息子は団地まで届けにきました。

「お父さんやってくれないの?」

と息子に聞いても、このころは口を聞いてくれず、目も合わせないし、なんなら目も最大限に細めて「開いてないから見えない」テイでわたしに接していたのです。

息子は手紙を渡すと、なにもしゃべらないまま帰ってしまいました。

困ったわたしは、元家の近くに住むママ友に連絡して、旗当番のお知らせを元家のポストに投函してほしいとたのみました。

「任務完了したで~。」とメールがきたので、安心してすっかり旗当番のことなど忘れていましたが…。

旗当番の当日朝7時半ごろ、なんと息子が旗当番セットを持ってあらわれたんです!

もちろんわたしは旗当番の日だということすら忘れていて、もう仕事に行かなきゃというバタバタした時間だったのでほんとうに不意打ちでビックリ!

「お父さんやってくれなかったの?
ママ仕事だからできないよ!」

あわててそう言ってはみたけど。

旗当番ペアの相方のほうならサイアク行かなくても大丈夫ですが(わたしも無断欠席されひとりだったこともあり)、この旗セットなかったらもうひとりの当番の人はなにもできませんよね。

とはいえ、今から徒歩15分はかかる現場まで行って仕事して、職場に遅刻連絡して、、、
なんて、モラ夫のせいでそこまでするのもくやしい!

だから息子には悪いけど、

「急に言われてもムリだから。
当番の人に旗セット持って行って。」

と、つきはなしました。

でも、息子は徒歩15分かけて団地にきたのに、また15分かかって元家近くにもどり、そこからまた15分かけて中学校に登校…。

朝からきつかったよねとか、
遅刻したかもしれないなとか、
当番のお母さんになんて説明したのかなとか、
心配で心配で仕事中も気になってしかたありませんでした。

あのときはとっさの判断力がなくて、個別の手紙を読んだはずのモラ夫にムカついて
「意地でもやらん!」
と思ったけど。

息子のことを考えたら、わたしが遅刻してでも旗当番の仕事を果たせばなにごともなくすんだのかな…。

また息子を傷つけてしまったかな…。

当番の人だって

「旗セットは元の家で受け取ってるのになんで?
母親だけ別居?
にしても無責任すぎない?」

そんなふうに思ったかもしれないし、いやな感じでうわさが広がるかもしれないな…。

そんなふうに、ただの旗当番ひとつとってもモラ夫がからむと大騒動!

あと味悪い思い出になってしまい、今でも通学路で旗当番に立つ人を見ると胸がキュッとなります。

さらに後日談。

下の子が中学校に上がってからは、団地の住所ベースの立ち場所に割り当てられたのですが、団地になってもなぜかうちが旗当番セット係!

しかも雪の降る早朝に旗持って交差点に立ったけど、相方はけっきょく来なくて、ひとりで切り盛り。

交通量めちゃくちゃ多い交差点なのに、立地的にここを通る中学生はすごい少なくて、4~5人程度しか通過せず。

なのに、ある高校の目の前の交差点なので、信じられないほどの人数の高校生の自転車軍団が通り、そのたびにあいさつ連呼するという地獄のような30分でした。

お子さんが小さくてまだまだ旗当番まっただ中の方、ほんとうにご苦労さまです。

コメント

  1. 三五笑话 より:

    不知道说啥,开心快乐每一天吧!

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