出ていくまでの3年間の日々
モラ夫からの身体的DVは、あの日の一度だけだった。
その後しばらくしてからモラ夫は単身赴任になり、小学生の子ども2人とわたしで明るいオンオペ育児の家庭のような生活を送った。それはそれは気楽な楽しい毎日を過ごした。
モラ夫はこの先も転勤を何度かするだろうけど、おそらく自宅から通えるところではなく単身赴任が続くだろう。
それなら、帰ってくるときだけやり過ごせば、定年までとはいわなくても少なくとも子どもたちが大学を卒業するまではなんとかやれるだろう。
そう思っていた。
しかしながら、モラ夫おそるべし。
たとえ別居していても、モラ夫は遠隔モラハラをしかけてくる。電話やLINEでしつこく。
もちろん対面モラよりマシなんだけど、モラ夫と接触しない平穏な日々になれていると、遠隔モラでもかなりのダメージを受ける。
そして、モラ夫の時々の帰省で久しぶりに直接のモラハラを受けると、耐性が落ちているのでショックが大きい。
加えて、モラ夫は少ない機会で最大限の効果を狙うかのように、よりきついモラハラをするようになる。
そして単身赴任で別居になってから3年ほどたち、わたしのガマンの限界をむかえる事件が起こった。
それはまた別の記事でくわしく書いてます。
その、事件の日からというもの、のどの奥に湿って圧縮した空気が詰まっているかのような、言葉も発せない、動きも重たいどん底の精神状態の日々が続いた。
ふつうなら、こんなふうに精神をいためつける相手と同じ家に暮らせないし、いっしょに食事をしたり話をしたりなんてできない。
でも、小学生の子どもがいるとなると、そうもいかない。
ごはんができたら、みんなで食卓を囲んで
「いただきます。」
同じ空間で、子どもが学校のことや友だちの話なんかしても、親が両方とも反応しないとなるとおかしな雰囲気になり子どもが感じとってしまう。
なので、決してモラ夫と直接会話になることはなくても、子どもをはさんで会話が続くことになる。
すぐそこにいるのに、
「パパに聞いてみて。」
の連発。
いっぽう、モラ夫は切り替え上手。(というかモラハラだから素なのか?)
「ねっ、ママ!」
とふつうに笑顔で話しかけてくる。
わたしは恐怖に顔がゆがみ、涙がこぼれそうになるのをこらえながらも、子どもの前ではモラ夫に同調するしかない。
子どもの前ではモラ夫は攻撃してこないので平和なぶん、子どもがいない二人きりの状況がさらに恐怖になる。
こうやってわたしはどんどん病んでいった……。
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