モラハラに身体的DVが加わった日②

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DVを受けてもなおどうしたらうまくやっていけるのかを考えていた!

暗いトンネル

無視や暴言などのモラハラがひどくても、「身体的暴力がないだけマシ」だと自分に言い聞かせて耐えてきた。
そう、昨日までは。

でも、ついにたたかれた。

これからは暴力も始まるのかと思うと、恐怖で世界が暗黒に感じられる。

10日ほど会話をしない日々が続き、わたしはどうしたらこの場がいったんおさまり、この先もうまくやっていけるのかを考えていた。

その時のわたしは、あとさき考えずに本能的に家を飛び出すということはできず、誰かに相談することもできずにいた。

言われたとおりに、がんばって収入を得るようにして、言動をあらためて許してもらうしかないと思っていた。

とにかく、子どもにバレてはいけない、子どもに悪影響がないようにわたしが平静を保たなければと思っていた。

家を出て別居するとか、ましてや離婚するとか、わたしとは全然関係のない遠い世界の話のようで、当時はみじんも思い浮かばなかったから。

わたしは、意を決して夫に話をした。

「パートを増やし、もらう生活費だけでやっていけるようにがんばります。

子どもが成長したらフルタイムで働いて、塾代などの学費を出せるようにします。」

最大限に自分を鼓舞して、鬼の形相のモラ夫に声をしぼり出して伝える。

しかし、モラ夫は話を半分も聞かず遮った。

「もーいーでーす、分かりました!」

その後、モラ夫は
「わたし言えないプランがあって、早期に家のローンを払って退職すると決めたからそっちは好きにどうぞ」
と不安にさせるようなことを言ってきた。

許してくれないんだ…

と、絶望したわたしは、長年の友人3人に初めて相談することになる。

みんなは突然のモラハラ被害のカミングアウトに驚いて、
「無理しないで離れたほうがいい」
と助言してくれるけど、すぐにはできないのも分かると理解してくれた。涙。

同じころ、公的なDV相談ダイヤルにも電話をした。

1時間ぐらい話を聞いてもらった結果、やはり、
「離れるしかない」
という回答だった。

やっぱり、モラ夫といっしょに生活してこの先好転することはないんだなとあらためて思い、覚悟を決めようとした。

この先うまくやれることはないと確信した2週間後…

とはいえ、たたかれてから2~3週間くらいたつとモラ夫が時々話しかけてくるようになり、機嫌がよい日も増えてきて、「いつもの」「時々ある大きなモラハラ事件」の一つになりかけていた。

だがしかし。

たたかれた日から約1か月後、モラ夫は帰宅するなり不機嫌オーラを発し、子どもの前でこの前のネット売買のことを蒸し返して怒り、さらに子どもが寝た後にも怒鳴りつけてきた。

「オレに逆らうな、対等と思うなよ!」

「結婚相手をまちがえたが、仕方がないから面倒はみてやる」

「目を見ろ、バカ!」

頭から水をかけられたような、吐き気がするような暴言罵倒に耐え切れず、息が苦しくなり、体の震えが止まらず、ついに

「…子どもを連れて出て行きます。」

と声をしぼり出した。

そのとたん、モラ夫は態度を急変。
あわてだして、
「そんなこと言わないで、ごめんねごめんね」
と謝りだした。

でも、その時は心を決めていたので、わたしは思いのたけを告げた。

人格否定され続けてきたが我慢していたこと。

何をしても怒らせること。

食事も家事も子どもへの叱りも全部文句を言われること。

緊張状態の中暮らしていること。

普通にしているつもりでも、態度が大きいと怒鳴られること。

「子どもは気づいている。傷ついている。
同じように、傷つける人間になる。

不仲の両親のもとで育つ子は、自分のために離婚しない両親を見て自分を責め、自己否定するようになる。
早く解放されないといけない。

お金はいりません。生活はできます。」

すると、モラ夫はうろたえてすがるような目をして訴えてきた。

「いなくなってはいけない」

「生きていけない」

「言い過ぎた」

「もう二度としない」

一瞬にして、まるで立場が逆転した。

「転勤願いを出すから、この家にいやすいようにしてあげる。

自分が家を出るから、ここにいてほしい。

みんなと楽しく暮らしていきたいと思っているんだ。

お母さんに、奥さんを大事にするようにと言われているんだ。」

とたたみかけるように言う。

やっていることと正反対の理想像を、モラハラしてる相手になぜ語れるのか不思議…。
どうしても、人格障害としか思えない。

わたしはその日はだんまりを決めこみ、それから重苦しい数日が過ぎる。

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