信じられないほどコロナ新規感染者が減ってますね。
このまま収束してくれたらいいのですが。
緊急事態宣言も解消されたし、わたしも子どもたちも8月中にワクチン2回目も済ませているので、今なら実家へ行けるかもしれないと思いたちました。
実家は100㎞ちょっと離れたところで、電車や車で2時間ぐらい。
昨年はお盆もお正月もコロナで断念、今年の夏もコロナが増えたから直前で中止していました。
親も年ですから、いつまで元気にしているかわからないし、孫の顔を見せてあげたいですもんね。
ちなみにモラ夫の実家はもっと遠いですが、コロナ禍になってもまったく自粛してない様子で実家へ行っていたようです。
もちろん、高齢の親が心配というのもあるでしょうけど、子どもからの情報によると、あいかわらず元気に暮らしていらっしゃるようです。
ひとり暮らしでもないし、体調が悪いということもないのに、コロナ禍初期から過去ピークだったときも県境超えて月に何度ものように行く必要があるのだろうか…。
子ども連れて泊まりとかもあったので、うちとも間接接触になるから本当にイヤでしたが、直接は言えないし、子どもも強く拒否もしないのでなすがまま。
モラ夫の両親は好きだったけど、うちの親のように「来なくていい、ていうか来たらダメよ!」と強く言わないのかな、と、いらんストレスを感じていました…。
ともあれ、2年ぶりの実家です。
市町村合併で広大になりどうにか人口6万人ほどになったという田舎で、とても風光明媚な土地。
子どものころから変わらない景色は幼いころの希望に満ちた自分を思い出して切なくもなります。
まさか将来離婚するなんて思わなかったな~。
両親は、孫たちに会えてとてもうれしそうで、進学した高校や大学の様子を聞いては目を細めていました。
そして、ふつうにモラ夫のことも話題にしています。
「お父さんは元気? ごはんとか困ってらっしゃらないの?」
とか、フツーに聞いてる親に、わたしはなんとも言えない気持ちに…。
もちろん、実の娘であるわたしに会えたのも喜んでくれ、困ったことはないかとたずねてきます。
「モラ夫さんはやっぱり学費は出してくれないの?少しも?」
「そうよ1円も払わないよ」
とブーブー言うわたしに、
「そう。大丈夫なの? お金困ったらいつでも言いなさいよ。」
と言うだけで、ぜんぜんモラ夫の文句を言わない。
仮にも一度は夫だったモラ夫を非難するのはわたしに悪いと思ってるのか?
それともモラハラだなんだという騒ぎは忘れ、単なる教育方針がちがう人だと思っているのか?
こんな平和主義の親のもとで育ったから、わたしは拒否したり疑ったりするのが苦手な人間になったのかもしれません。
そして、わたしの長所でもあり短所でもあると自覚している「あきらめのよさ」は、こういう家庭で育ったからかも。
「しょうがないよ」
と、よく母は言います。
わたしが子どものころから。
なにかがこわれた時、誰かにいじわるされた時、うちには高価すぎて買えない時、時間に遅れてしまった時…。
「しょうがないよ」
と母になぐさめられ、あるいは許され、あるいは断念させられて、そのたびに気持ちを切りかえてまた歩きはじめることができました。
だから大人になっても、モラハラに耐えて耐えて耐えて、どんなに理不尽なことをされても、あきらめて別のことに目を向けるようにしてつらさをごまかしてきたのでしょう。
「妹ちゃんがうまれたばかりの時、ママと妹ちゃんは留守番で、モラ夫さんが箱根に連れて行ってくれたの覚えてる?」
と、息子とフツーにモラ夫との思い出話をしています。わたしの前で。
突然のモラハラ脱出を報告した5年前のあの夜や、その後の数々の離婚協議騒動を忘れてるの?認知症か?
のど元過ぎればモラを忘れるんですね…。
ま、親は当事者じゃないからね。
だけど、お金に困ったら頼りなさいと言ってくれる親がいるのは幸せなことで、安心感があってありがたいなと思います。
たしかにお金のよゆうはないけど、いろいろ工夫してやりくりしていけばなんとか学費も払えそうだし、裕福でもない老親に甘えることは極力しないつもりです。
某新婚夫婦のように、自由になりたいけど生活レベルは下げられないというような意思の強さもないし、他人の援助を引き出す賢さも甘えるスキルもないけども。(誹謗中傷ではありません)
お金に不自由せず、やさしい夫にだいじにされているフリをしなければならなかった、モラ夫と結婚していたころとちがって、自然体で過ごせる実家帰省はとてもリフレッシュできました。
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