モラハラに身体的DVが加わった日③

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水滴の花

無料弁護士相談を受ける

「家を出たい」ついにと宣言したらモラ夫が予想外に謝ってきた、その数日後。
女性センターの無料弁護士相談を受けることにした。

「モラハラは離婚理由の1つ、婚姻を継続できない理由に当たります。
貴方のされていることは慰謝料を請求できる内容です。
まず、家を出て、別居してから調停に入りましょう。」

客観的に見ると、わたしってそんなにハードな環境にいるんだなって分かり、外部への相談は大切だと痛感した。

ただ、このときは、
そうはいってもどうやって家を出たらいいのか? お金は?
と、じゃあ具体的にどうしたらいいのかが全然わからなかった。

「ちょちょっと、まだすぐに動くことはできないので…ありがとうございました…」

と、紹介してくれた法律事務所などの連絡先をもらって帰るのがやっとだった。

ただ、モラハラ相手では十中八九話し合いができず調停や裁判になるので、今日の相談を匿名ではなく氏名や住所を記録しておくと後日証拠資料になるのでぜひ、と案内されたのでそうさせてもらった。

クライシス後のモラ夫

かたやモラ夫は、ドラマのラストシーンのゴタゴタ的に

「妻が怒ったり泣いたりしたけどオレが謝っておさまった」

という印象しか覚えていないサイコパスなので、

子どもの前ではふつうに生活するし、いつのまにか調子よくわたしに話しかけてくるようになっていた。

また、思いがけず反発してきた妻にあせったのか、突然生活費を多めに渡してきたりもした。

だけど、わたしは前のような態度にはとても戻れないので、

「私はまだ出て行く気持ちでいます。
自分が考えていた以上に傷が深くて、ことあるごとに、今まで言われてきたひどいことを思い出しては息苦しくなります。」

と伝えた。

「二度とキミを苦しめる言動はしない、お金を稼げとも言わないから」
そうモラ夫は約束した。

このとき、子どもはまだ小学校低学年。
別居して生活する自信もなく、モラハラから脱出する方法や知識もなかったので、それならやっていけるかも、と思ってしまった。

自分が変わる自信がないから、モラ夫が変わると言ってくれてるからそれを信じて今の場所にとどまるほうが楽だから。

すぐ後にはクリスマスや年末年始など子どもや実家をまきこんだイベントもひかえていたので、雰囲気を悪くしたままでは過ごしにくいという理由もあった。

それからモラ夫は、わたしの機嫌をうかがうようにしておとなしくしていたのだが、半年もすると、ちょっと機嫌悪くしたり返事をしないことがあったりとだんだんモラが出てきた。

それどころか、1年もすると、もっと残酷で巧妙なモラハラをしてくるようになった。
もう二度と反抗できないように。

モラハラ反抗失敗?決してそうではなかった

あの日、初めてモラハラに「NO」を突き付けたレジスタンスだったのに、失敗に終わったと感じてひどく落ち込んだ。

でも、ムダではなかった。

いざ本当に家を出たとき、
「あのとき一回家を出ると宣言したのにまたモラハラしたからだ」
という理由になった。

「突然子どもを連れて家を出るなんてひどすぎる」と怒り狂うモラ夫に、
「突然ではないのだ」と周囲に説明することができた。

なによりも、実行には移せなかったけど、このときに「家を出る」と宣言したことが私の脳裏に焼きついた。

それは、いつしか「家を出ることができるんだ」という自分の脳への強いメッセージになった。

「今はつらいけど、いつかモラ夫とは離れるしこの家を出るから。」
と思うことが、明日へのはげみになった。

実際には日々の生活は変わらないし、モラ夫はあいかわらずで時々モラハラ勃発するけれど、

「一生このままか…」
とあきらめていたあの日までとは、精神的に全然ちがった。

とはいえ、モラハラが弱くなると、家を出るきっかけもなくなり、なんだかんだそこから4年近くもモラ夫との生活が続いてしまうことになった。

だけどこれだけはぜったい言える。
モラハラが治る・改心するということはないのだ。

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