連日裁判が行われている、福岡県篠栗町のママ友の洗脳により子どもが餓死してしまった事件。
ほんとうにかわいそうで、せめて天国ではお腹いっぱいごはんを食べられていますようにと願わずにはいられません。
現代の日本で、子どもが餓死してしまうということ自体がショッキングなのに、その原因が第三者であるママ友の支配だっったのではないかということが注目点になっています。
「周囲がもっとおかしいと疑って介入すべきだったのではないか」という批判もあります。
なんの罪もない小さい子が家庭で亡くなってしまったときにはいつも持ち上がる問題ですが、権限の問題がありなかなか思うようにはできないのでしょう。
この事件では、母親である碇容疑者とそのママ友である赤堀容疑者が逮捕されています。
実はその母親自身への非難の声がけっこうあるのですが、わたしはそのことをとてもつらく感じます。
批判の内容としては、
「いっしょにいたのは母親なんだし、我が子が弱っていくのを助けられないだなんて、いくら洗脳されていたと主張しても許されることではない」
というもの。
いや、わかりますよ。
わたしだって、いい人ばかりとつきあってこられた元気いっぱい毒舌キャラだったあのころなら、信じられなかったかもしれません。
だけど、相談もできない、逃げることもできない、今を耐えるしかない、そういうふうにしか考えられないほど追いつめられてる人だっているんです。
モラハラで苦しめられ、家庭内の問題をだれにも話せなかったときを経験したから、その異常な精神状態が胸が痛いほどわかります。
「いやいや、あなたは気がついて自分で子どもを連れて家を出ることができたじゃない」と、今なら言われるかもしれません。
でも、渦中では、異常なモラハラ生活を全部自分の中にしまいこんでいたのです。
「母親失格、人間としてもダメ!」
そういう罵ることばを浴びせられ、胸がえぐられるように苦しくても、みじめで恥ずかしくて誰にも言えなかった。
「そんな時給で仕事してるなんて言えないよ?」
働き方が制限されている育児期なのに、パートは嘲笑され家事はやって当たり前と一蹴され、それなのに生活費を自分で稼げと無理難題を言われて。
それでも強気に出ることはできず、節約と副業にはげんで誰にもバレないように持ち物や交際費などをとりつくろった。
自己肯定感が高くてはっきり主張できる人から見ると、バカみたいですよね。
「は?ありえん。」
と、自分への攻撃を拒絶して、生活費をもらう権利を主張できるんでしょう、ナチュラルな瞬発力で。
だけど、自分さえガマンしてがんばれば、穏便に、怒らせずになんとかやれるかもしれない…。
そんなふうにモヤモヤしながら耐えているうちに、とんでもない上下関係が構築されてしまっていて、やりたい放題されてしまうんですよ。
支配者が機嫌を損ねないように、自ら行動を制限するのはあたりまえ。
ときには支配者が喜ぶようなネタをこちらから用意して一定時間の安全を確保したり。
そうやって生きのびていくしかなくなるんです。
わたしだって、モラ夫が子どもに習いごとの先生の悪口を言うのに同調したくはなかった。
子どものテキスト代は出してくれないのに、モラ夫の趣味の買物を自慢されて「それいいね」なんて言いたくはなかった。
事件の母親のように、ただのママ友から生活費すべてを取り上げられるほどの支配や洗脳をされていたわけではないけど、正直紙一重だと思います。
自己愛性パーソナリティ障害と思われる危険人物にロックオンされたら、人は洗脳されてしまうのです。
XJAPANNのToshlさんも、「ありえないでしょう」としか思えない壮絶な体験をされてますが、実話です。
今話題のカルト宗教「旧統一教会」も同じような心理作戦で被害者からお金を巻きあげてます。
完全にマインドコントロールを受けてしまった状態ではむずかしいけど、洗脳下から脱出するには、「外の人との交流を断たないこと」が重要です。
「意識を強く持つ」とか、自己解決できないのが洗脳です。
逐一「それは異常だよ」と忠告してくれる家庭外の人がいないとダメなんです。
支配者は、親や友人など外部の人との接触を断つために、あの手この手でしかけてきます。
オマエは嫌われているとか、外出したら説教するとか、交際費を使わせないとか。
なので、そういうことをする人からは離れるか、離れられないなら徹底的に抵抗して言うことをきかないようにしないと、マインドコントロールされてしまいます。
わたしはもうそういう気力がないので、この先の人生で新しい出会いは極力したくないとまで思ってしまってます。
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