モラハラブログを書くにあたって、わたしはリアリティを大切にしています。
耐えればいつか事態はマシになると祈っていたことはまちがいと悟り、
そこから逃げて、
いま、モラハラのない人生がどんなに幸せかを実感している
わたしの一部始終を語りたいと思っています。
今日は、どうしても離婚を思いとどまってほしいと願う親に、
夜モラも耐えられなかったという告白をしたつらさを恥をしのんで語ります。
モラハラのつらさをなかなか理解できなかった両親
モラハウスを脱出してから、やっとそのことを両親に言いました。
でも、年老いた田舎の両親がモラハラなんて理解できるはずがなく。
だけど、大変な時間をかけて被害を訴え、どうにか分かってくれました。
夫の悪行を突然マックスで話してしまったのが信じてもらえない原因で、
もっと日ごろからちょこちょこモラ夫の愚痴を親に話していればよかったんですね。
自分で選んだ結婚相手に非があってはいけない。それはすなわちわたしのミスだから。
それに人の悪口を言ったり、ガマン強くない娘では親が許してくれないと思ってた。
わたしは親を信頼してあまえるという経験が少ないまま成長したのかもしれません。
夫婦生活がないようならダメだという考えの父
モラ夫から逃げて親にすべてを告白すると、翌日かけつけてくれました。
小学生だった子どもの登下校や留守番も心配ということで、そのまま母がしばらく滞在してくれました。
毎日子どもが寝しずまってから、これまでの経緯を母と話したりしていました。
母は言いにくそうに聞いてきました。
「お父さんが、夫婦生活はあったんだろうかって聞いてたよ。
それすらなかったのならもうダメだろう、って。」
絶句…。
いまどきのトモダチ母子みたいな関係ではないので、母とこういう話をしたことはありません。
結婚するまで、彼氏がいるとかいないとかそんな話もしたことがありません。
なのにいきなりこんな質問をされる地獄。
ていうか、能天気すぎる父に絶望したともいえますね。
夫婦生活があったのかとモラ夫にも聞いた父
わたしは、家を出てからモラ夫と一切の連絡を取っていません。
家出の時のモラ夫への内容証明にも、わたしや親族に一切の連絡をしないよう書いてます。
それなのに、外ヅラのよかったモラ夫を全面的に信用していた父は、モラ夫と何度も話してしまってました。
最初は一般的な夫婦ケンカと思ったにちがいなく、
親が間に入って話をまとめて関係を修復させようとしてたようです。
そのやりとりの中で、モラ夫にも夫婦生活はどうだったのかと父が聞いてしまったようで。
弁護士さんから、このように連絡がきました。
「お父さんはモラ夫さんと連絡取っておられるんですか?
モラ夫さんが、お父さんから性生活のことを聞いてこられて、
こんなことを聞かれるようではまともに話し合いはできないと怒っておられました。」
今だからこうやってサラッと言えますが、当時は父にそうとうな怒りをおぼえましたよ。
代理人通してくれってこっちから告げたのになにやってくれるんだ!
しかも性生活があったかどうかで夫婦関係が破綻してるかどうか判断するという低俗さ!
弁護士さんも困ってるわ、恥ずかしいわで、ほんとやめてほしい!
わたしは人生でいちばん強く激しく父に怒りをぶつけました。
泣きわめいて絶叫したと言っても過言ではありません。
夫婦生活ありすぎだよ!と母に話したわたし
「父が聞いてたけど、夜はどうだったの?」
と母に聞かれて、もうヤケクソで答えましたよ。
なにを言っても「離婚を回避して修復できないか」となる親に辟易してたので。
「夫婦生活があったかって?
あったよ、ありすぎだよ。
きつい、具合が悪いと嫌がっても妻だろうとムリヤリ強要されて!
そういうことも支配されてたのよ!
もう本当にイヤだったのよ。」
そう話すわたしに、母は軽く同意しました。
「自分も好きじゃなかったけど、それだけはおつとめだからしかたないと。
お父さんはすごくやさしいけど、それだけは譲れないと言うもんね。
だから今でもあるのよ」
と…。
Oh No! マジで70過ぎた親のそういう話なんて聞きたくなかったよ。
もうね、モラ夫のせいで地獄地獄。
モラ夫はわたしが35歳ぐらいのとき、
「こうやって求められるのもあと5年ぐらいのもんだからガマンしろよ」
と言ったけど、40過ぎてもいっこうにおさまる気配はなかった。
自分の性欲をおさえられないことを棚に上げ、
「歳とっても求めてもらえる幸せなオマエありがたく思え!」
と、どこまでも上から目線。
まにうけて夜モラを耐えていたら、実際はそれから30年以上続いていたわけですよ。
モラ夫のせいでわたしの親子間にいらん会話をさせられた
モラハラってあらゆるものを不幸にするんですね。
親に自分の夫婦生活がどうとか、
親の夫婦生活がどうとか、
そういう話をしなければならないなんて。
その後、親とこんな話をすることは二度となかったですが、
忘れることができない、モラハラ別居で耐えがたかったできごとです。
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