モラ夫からの逃亡! 一世一代の大勝負ですから、失敗は避けたいですよね。
とはいっても、練習できるわけでもないから、別居準備期間にひたすら情報収集とシミュレーションをするしかありません。
リアルな知り合いにはモラハラから脱出したって人はあまりいないでしょうから、ネットでたくさん情報を集めてください。
そこで、少しでも参考になればと思い、わたしがモラハラ別居において成功したなと思ったことを紹介します。
別居先の家を元の家より大きくグレードダウンしたこと
わたしは、脱出先の住まいとして、築50年の団地を選びました。
家を建てるまでは似たような社宅に住んでいたので、古い集合住宅に住むデメリットはよく分かっていたにもかかわらず。家賃ファーストで。
子どもたちにいたっては、社宅の記憶はうすれ新築の戸建てに住んでいた環境に慣れてしまっていて、古い集合住宅に住むのは抵抗があるだろうとは想像できました。
校区内は新しめの分譲マンションが多い感じなので、子どもの学校の友だちはキレイなマンション住まいが多いです。
そんな地域で昭和の高度成長期から建っているであろう広大なUR団地は、この辺で知らない人はいません。
わたしが持つイメージも、「高齢者か子どもが小さいかなど、所得が低い人が住むところ」と、あまりいいものではありませんでした。
婚姻費用や養育費がもらえることを見越して、もっときれいな賃貸マンションを借りることもできなくはなかったんです。
けれど、やっぱり家賃が安いことで、結果的に子どもを塾にも行かせられるし、常によゆうがあります。
なによりよかったのは、ほのかな悲壮感がただようということ。
自宅は駅から徒歩5分以内の立地で便利でキレイだねってママ友から言われることもあったけど、別居先は一転して、駅まで徒歩15分以上かかる古い団地。
周囲はだれしも、あまりにも生活環境が変化してかわいそうだと思ってくれました。
「そこまでしても逃げたかったのね…」と、つらさを理解してもらいやすかったです。
これが小ぎれいなマンションとかだったら、生活に困ってなさそうだし、なんだかわたしのワガママで家出したみたいに見えるかもしれません。
かといって、家賃が安いといえば○○荘みたいな木造アパートもあったけど、そういうこぢんまりした家だとモラ夫が襲撃しやすそうで不安でした。
それに、団地は見た目は古い公営住宅っぽくて悲惨な感じだけど、URの団地は管理がしっかりしてて住みやすいので満足してます。
モラ夫を着信拒否にして一切の連絡を絶ったこと
せっかくモラハラ脱出しても、なぜかモラ夫のもとに戻ってしまう例が少なくないようです。
なんといってもモラ夫は口がうまいし、一度は結婚したくらいだから好きな面も残っていたり、長年連れそった情もあるでしょう。
でも、再同居してうまくいったその後談というのはひとつも聞いたことがありません。
モラ夫はターゲットさえ確保できればさらにマインドコントロールを強めて二度と反逆を起こさないようにする自信があるので、とにかく戻ってくるまではおいしいエサをチラつかせます。
モラ友にも戻ってしまった人がいました。せっかく別居できていたのに、モラ夫から心を入れ替えただのお金をじゅうぶんに渡すだの言われて、もう一度だけ信じてみようと戻ったらすぐに制裁を強められました。
わたしはモラ夫に情なんてみじんも残ってなかったし、おそろしい例をリアルに見ているのでぜったいに戻らない自信はありましたが、執拗にコンタクトを取ってこられたら完全無視できるか不安でした。
だから、モラハウスを出た瞬間からモラ夫とその両親を着信拒否設定にしました。
ぜったいに出ないにしても、着信が入ると心が乱れると思ったからです。
実際、弁護士を入れているにもかかわらず、モラ夫はラインを送ってきたり、家にやってきたり、子どもに手紙を持たせたりと、わたしと直接連絡を取りたがりました。
弁護士さんにも、わたしと直接話をさせてほしいとしつこく言ってきました。
これはモラ夫の典型的な行動で、第三者に知られないことで成立してきたモラハラ支配がくずれたので、妻と直接話すことで再度コントロールしようと必死なんですね。
妻がモラハラに気づいて逃げたにもかかわらず、まだ支配できると思ってるんです。ナメてます。
でも、いくら洗脳がとけたとはいえ、今まで長い間モラハラされてきたわけだから、モラ夫と接触したらいつのまにか言いくるめられて戻らざるをえなくなる可能性があります。
どんなに「改心する、生活費も渡す」と言われても、子どもを連れ戻されても、決してモラ夫と会話することをしなかったのは成功だったと思います。
結局は半年ぐらいでモラ夫からの連絡の勢いは落ちていきました。モラ夫には成果が出ないことに努力を続ける能力はありません。
だけど、もし途中でわたしの顔や肉声がモラ夫に届いていたら、「見込みアリ」と認識されて、鎮火に向かっていたモラ夫の怒りや執念が再燃したと思います。
とにかく、ぜったいに、二度と、永遠に、モラ夫と接触しないことがモラハラから完全に逃れる鉄則です。
二度と取りに行けないと覚悟して荷物を持ち出したこと
弁護士さんから、家を出る時には失くして後悔するモノは全部持って出てくださいと言われました。
モラ夫はあらゆる方法で妻を連れ戻そうと接触をせまろうとするので、別居後にモノを取りに行くのは避けてほしいからと。
わたしはモラ夫が週末しか返ってこない単身赴任状態だったから、数時間で引っ越しをしなければいけないということはありませんでした。
それでも、気まぐれに休みを取って予告なしに帰ってくる時もあったから、悠長にはやってられないと一気に脱出できるよう荷づくりには気合を入れました。
なかでも、子どもの写真を持ち出すのは思ったより大変でした。
現像した写真のアルバムはわたしがつくったからと自分に理由をつけて持ち出すことにしたんだけど、データ問題が。
今だったら、写真はほとんどスマホで撮ってクラウドなんかで保存してるから大丈夫なんだろうけど、デジカメのころの写真データが大量にハードディスクに保存されていたんです。
画像データはパソコンに外付けしたハードディスクに保存してたのでそのまま持ち出せはするけど、子どもに執着が強いモラ夫なので、子どもの写真すべて入ったHDDを持ち出したら激怒するにちがいありません。
そこで、なんらかの記憶媒体に厳選した写真だけをコピーしようと考え、あまり整理されてなかった写真データを時系列にフォルダつくってみようとするも、量が多すぎて一枚一枚確認するのが本当に時間かかってめんどくさい。
最終的には、大容量のUSBメモリを買って全部コピーして持ち出しました。
USBメモリも容量が大きいと高いんですよね! ビビりました。
それに、コピーするのもけっこう時間がかかるので、仕事をしながらだと夜に作業するのがしんどくて後まわしにしてたら最後はギリギリまにあった感じです。
別居するしないにかかわらず、時間があるうちに写真データは整理しておくことをおすすめします。
また、ビデオカメラで撮影した子どもの動画も、わたしが持ち出すとうるさいだろうからDVDに2部ずつ焼いて、1部はモラ夫に置いてきました。
友だちには、
「そこまでしてあげなくて自分だけ持って出たらよくない?」
「やさしすぎるんじゃない?」
などと言われたりもしましたが。
そうじゃないんです。モラ夫へのやさしさでも思いやりでもないんです。
こわいんです! 怒られるのが。恨まれるのが。
かといって、突発的に家を出るわけじゃないのだから、子どもの思い出をあきらめるわけにはいかなかったんです。
モラ夫との結婚式のアルバムはどうしようかと迷ったけど、モラ夫が見て憎しみの感情をわき起こさせたらと想像するとゾッとして持ち出しました。
あとは、とにかく少しでもわたしを連想させそうなもの(共有の日用品でもわたしがこだわって買ったものなど)はすべて持ち出しました。
とにかく、買えばどうにかなるモノはいいとして、もう手に入らないモノはぜったいに持ち出しもれしてはいけません。
わたしにとっては、子どもの小さいころの写真関係がそうでした。
努力のかいあってかどうかは知らんけど、モラ夫が子どもの写真やビデオの件について言及してくることはありませんでした。
モラハラ別居でうまくいった体験談から参考にしてほしいこと
●周囲に同情され、モラ夫にぜいたくと文句言わせないような家を選ぶ
●脱出したらぜったいにモラ夫と直接連絡を取らない
●二度と取りに行かない覚悟で大切なモノは必ずぜんぶ持ち出す
あなたのモラハラ脱出成功を心よりお祈りします。
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