いよいよ脱出!15年のモラハラ生活にサヨナラ

この記事は約6分で読めます。
記事内に広告が含まれています。
別れ

新居の生活準備をしつつ日常を送る

新居の本契約は、引っ越し日の2週間前に行った。

はじめてカギをもらって部屋に入り、見まわしたときの精神的な解放感は最高だった。

ここは平和な空間。
怒られることもない。
笑ったり、のんびりしたり、好きなことをして過ごしていいんだ……。

そう実感して、心の底から幸せな気分と希望がわいてきた。

築50年の古い建物だったけど、がらんとした部屋を拭き掃除したり部屋のサイズを測ったりして数時間を過ごした。

新居は校区内なので、モラ夫や子どもに知られないようにちょこちょこと自力で運べるものを運び、脱出当日は短時間で引っ越し完了できるように進めた。

インターネットが使えるように、持ち運びできるWiMAXを契約し、念のため新居でも電波が良好に入るかテストしておいた。

モラ夫は単身赴任をしているので家の家電を持ち出してもいいんじゃないかと思ったけど、弁護士さんに相談すると、共有の財産を持ち出すとややこしくなるおそれがあると言われたので、持って出るのは自分しか使わないドライヤーなどの小型家電のみにおさえた。

そんなわけで家電一式を買う必要があった。
でも、置けるサイズが分かってからじゃないと買いにくいし、部屋を契約してから引っ越しの日まではあまり時間がなかったので、家電店で一気にまとめて買うことになった。

家電量販店に行き、まとめ買い案内サービスのようなカウンターに直行して、単刀直入に要望を伝えた。

「離婚のため別居するので予算が少ないけど、時間もないので他店と比較交渉はしませんし、全部今日ここで買います。だから最大限の値引きをお願いします。」

店員さんは一瞬ビビったようだったが、すぐに状況を理解してくれて、各販売コーナーに案内してくれた。冷蔵庫、テレビ、洗濯機…売り場についたら担当の人に価格と性能の希望を伝えるのみ。するとたいていはコレですね、と、すぐにチョイスが決まる。

約1時間で6点30万円の買物をすませ、引っ越し一週間前に新居に配達してもらった。また、友人からもいろいろと家電や食器などをゆずってもらい、とても助かった。

かくして冷蔵庫も電子レンジもそろい、新居の準備に行ったときにちょっと飲み食いもできるようになった。

それにしても、モラ夫帰宅のカギの音におびえる必要がない場所って癒される!

元の家では発つ鳥運動

7年前に建てた家とももうすぐお別れ。

新築で入居した家だから、できるだけキレイに保っていこうと掃除をがんばっていた。小さな庭には花や木を植えてガーデニングを楽しんでもいた。

でも、もう二度とこの家にはもどらないから、手入れする必要はない。ただ、浄水器のカートリッジや給気口フィルタの交換が必要ということは目につくようにパンフレットを出しておこう。

だいじに育てていた庭の花をモラ夫にふまれたこともあったけど、今年は花の苗も買ってないし植えてないからそんな心配もないよね。もしも宿根や落ち種で自然に生えてくれる花があったら、おかれた場所で咲きなさい。

そしてせめて近所に迷惑にならないようにと、一日かけて育ちの早いシマトネリコの伐採と草取りをした。

また、家の固定資産税・車税・生命保険の支払いなど、支払日と金額・支払方法、その口座のネットバンクのパスワードなどはエクセルで一覧表をつくってプリントアウトした。

子どもに家を出ることを伝える

2人の子どもたちは小学校高学年と中学生。
これまで、パパがママにモラハラをしていることは気づいていない。
モラ夫はギャラリーがいるところではモラハラしないし、またわたしもモラハラされていることは子どもにも決して気づかれないようにふるまっていたから。

それでも、もう少し大人なら、ときどきモラ夫が悪意に満ちた冗談を言ったり、長時間無視していたりすることに気がつくかもしれないが、いかんせんまだ幼すぎた。

わたしにとってはモラ夫は他人でも、子どもたちにとっては血のつながった大好きなパパ。悪者にしたくないのは山々だけど、わたしがこの家を出るのにじゅうぶんな理由があると分かってもらわなければならない。

弁護士さんやカウンセラーのJoeさんに相談し、子どもに口止めを約束させることはすごく苦しいだろうということで、帰省してきたモラ夫が単身赴任先にもどってから引っ越しするまでの数日に告知することに決めた。

それは引っ越し4日前だった。上の子は、涙をツーっと流して「分かった。」と言ったきり部屋にこもり、下の子は「いやだいやだ」とワンワン泣きながら泣き疲れて眠った。

でも、それから引っ越しの日までは、なんとか言い聞かせて準備をさせることができた。

引っ越し当日の動き

脱出当日、わたしは仕事の休みを取っていた。

子どもたちが学校へ行った後、まもなくわたしの友人3人がやってきた。学生のころからの友だちだ。引っ越し業者には依頼していないので、普通車3台で荷物を運ぶことになる。

二度と荷物を取りにくることはできないと覚悟して、とにかくわたしのモノと子どものモノは全部持ち出した。

大きな家具と家電はないけど、節約のため小さめの整理ダンスやクローゼットや押し入れの中で使っていたカラーボックスや衣装ケースを相当数持ち出したので、2回往復することになった。

駐車場が1台分しかないので、隣の奥さんに駐車場に車を停めさせてもらうようにお願いに行った。ときどきお茶したりするような関係だったが、家の事情を話したことはもちろんなかった。

「今日、子どもを連れて引っ越します。車を停めさせてください。落ち着いたら必ず連絡します。」

と、涙をこらえてそう言った。

「車、停めていいわよ。あなたと子どもだけなのね?…何も聞かないわ。だけど、だいじょうぶ?」

ありがたすぎる、やさしすぎる言葉をかけてもらった。町内会のつきあいも良好だったこの町にもお別れ……。さびしい。

新しい家のほうにもさらに2人友人がやってきて、みんなが手際よく荷物を運んで部屋を片づけてくれた。

なんとか夕方に部屋が整い、いったんは元の自宅に戻った。

モラハウスで最後のごはんとお風呂をすませ、グッバイ!

そして、すっかりモノがなくなってすっきりした家に子どもたちは下校帰宅してきた。

そこで最後の夕食を食べ、最後のお風呂に入った。

モラ夫が家の電話にかけてくるかもしれないし、もしケイタイにテレビ電話をかけてきたら背景が映ってしまう。だから、電話がかかる可能性がある時間までは元の家にいることにしていた。

21時ごろ電話があり、モラ夫は機嫌がいい様子だった。わたしはこれがモラ夫と話す最後だなと思いつつもすぐに子どもに電話をかわった。子どもたちは家を出ると知らされてからはじめてパパと話すことになったが、いつも通りの会話で電話を終わってくれた。

これでこの家でやるべきことは終わった…。車を残したまま、3人で自転車で新居に移動した。

家を出るとき、子どもたちに声をかけた。

「この家も最後だよ、よく覚えておいてね。」

このとき子どもがどんな反応だったかはよく覚えていない……。

ただただ、私の脳内では尾崎豊の歌が無限ループしていた。

「この支配からの、卒業」(とくに尾崎ファンではありません)

新居に着いたのは遅かったこともあり、疲れていた子どもたちはすぐにぐっすり眠った。

わたしは、いろんな思いが頭をめぐりながらも、弁護士さんや友人にメールをしたりとやることがたくさんあり、夜中遅くまで寝ることができなかった。

コメント

error: Content is protected !!