わたしと離れモラ夫と暮らしていた子どもの気持ち

この記事は約6分で読めます。
記事内に広告が含まれています。
カメ

今でこそあたりまえのように子ども2人そろい母子家庭生活を送ってますが、
モラハウスから脱出してからの1年は、
上の子がモラ夫の元に戻ってしまい、下の子とわたしは2人暮らしでした。

当時は子どもは中学生で思春期反抗期まっただなか。

ただでさえ不安定な年ごろだから、
親の勝手な都合で不幸におとしいれられたと思って当然だし、
わたしにとっては地獄でも、
子どもはもとのような家族にもどりたいという一心だったんでしょう。

そのころ子どもはケイタイをもってなかったから、わたしからの連絡手段はありません。

離ればなれになってはじめのうちは、
毎日洗濯物を出して時間割をするために新居に通ってきてたけど、
そのうち2日に1回になり、
1週間に1回になり、
いつしか月に1回来るかどうかになっていきました。

そのころ、テレビで、
昔不良だった息子が家出して
それでもお母さんは毎日晩ごはんをつくって待っていたというエピソードがあり、

あの時の不良息子は今! ということで何年ぶりかにご対面して
「母ちゃんあのときはごめんよ」
って涙で抱き合うという感動ストーリーを見ました。

わたしは合理主義なので
晩ごはんを食べに来ないと分かったらつくるのはさっさとやめたけど、

あんな不良でも大人になったら母ちゃんゴメンって会いに行くんだから、
元来やさしくてマジメなうちの息子だっていつかきっと会える…。

もうほんと、この先10年はちゃんと会える機会はないだろうと思ってました。

別居から1年たつころのモラ夫の最低事件

以前、別居後もモラハラは止まらないという記事でもふれた、危篤を伝えなかった事件。

子どものひいおばあちゃんが、もう長くないから最後に会いに来てほしいと実家から連絡があったので、
弁護士さんを通してモラ夫に伝えてもらいました。

モラ夫は、毎月下の子どもと面会交流をしています。
だけど、わたしは上の子とは自由に会えず、子ども自身の意思行動にゆだねるのみ。

だからこそ、こういう重要なときだけはしっかり代理人を通してモラ夫に子どもをよこすように伝えたのです。

弁護士さんから、モラ夫からの返事をちゃんともらったことを聞きました。

「遠出は控えてほしいけど、今回はしかたないので行かせることにします。
ただし18時までには帰すように。」

ここまで具体的にモラ夫が言ってきたというのに、子どもはお父さんからなにも聞いてないと言いました。

当日、夕方までに戻ってこないといけないからなるべく早朝出発しようと待っていたのに、
子どもは待てども待てども来ませんでした。

連絡手段はないから、子どもがいつか見るかもしれないパソコンメールに
「日曜日来なかったね。待ってたよ。」
と、翌日ダメモトで連絡を入れました。

2日後、メールに返事がきたけど「なんのこと?」というので、
モラ夫から聞いてないんだなとわかったわたしは、
「今すぐ来なさい!」と子どもを呼びました。

メンドクセーとか言いながらもすぐに家にやってきたので、ひいおばあちゃんのことを話しました。

やはり、なにも聞いてないからその日は友だちと遊びに行ったとのこと。
これには子どももさすがに、「ハァ?」とモラ夫に疑念を抱いた様子。

後日弁護士さんを通じて子どもに伝えてないことを抗議してもらうと、
「忘れてました」
とモラ夫は言ったそう。ありえない…。

この件をきっかけに今後はiPadでLINE連絡できるようにIDを教えてもらい、
やっと子どもと直接連絡が取れるようになりました。

はじめてモラ夫との暮らしを語った息子

モラハラ脱出直後は、わたしが語るモラ夫のこわさを理解できなかった息子。

だからこそ、最初はいっしょうけんめい、
「ボクがお父さんを見張るからもう怖い思いはしないですむよ」とけなげに説得しようとしていました。

子どもから見ると、だまって家を出られてシュンとなった父はいっしょうけんめい謝るのに、母はあまりにかたくな。

悪いことをしたら謝る。
謝られたら許す。

小さなころから、わたしをふくめ幼稚園、学校、本などあらゆる道徳教育でそういうふうに習ってきた子ども。

父は悪いことをしたのかもしれないけど、謝っているのに許さない母はおかしい。父かわいそう。
そんなふうに思いこむのはあたりまえのことでした。

でも、母がいなくなり、父と父方の祖母と暮らすうちに、モラ夫のイヤな面が見えてきたようでした。

「頼んでもないのにiPadを与えられ、だからゲームをやってると、今度は勉強しろとうるさい」
「ごはんの前にオヤツをあげるなとおばあちゃんに怒ってる」
「部活を見にくるのがウゼー」

これまで、モラ夫のうっとうしい干渉に従順にこたえていた息子がそう語る姿が衝撃でした。

もちろん、あのままいっしょに生活していても年ごろ的に、父に反発してきてたかもしれないけども。

さらに驚くことに、モラ夫から呼ばれたらゲームしててもテレビ見てても
「ハイッ!」
とやめてかけよっていた息子だったのに、(ちなみに下の子はそういうのはスルー)

「メンドクセーから無視してる」
「しゃべらんからカンケーネーけど」
なんて、モラ夫にいっぱしの思春期の子どものような口を聞けているのがビックリです。

妻は離婚するの一点張りで戻る気配がない。
取りもどした上の子も今までのいい子じゃなくなりオレ様の小言聞かず無視する。
大好きなお母さんも久しぶりにいっしょに暮らしてみると思い通りの家事をしてくれない。

だからモラ夫はイライラして子どもやお母さんに当たり、さらに子どもの心は離れる。

そういう感じで、どうやらモラ夫とおばあちゃんとの生活も心地よくないようでした。

さらに、部活の車出ししてほしくないから連絡いかないようにしてるけど、
友だちとちょっと遠くのシネコンへ映画を見に行くときは車で友だちとも送ってもらうんだとか。

モラ夫をただの足としていいように利用するスキルまで身につけているようで、
いつのまにかたくましくモラ夫をあしらうようになっていました。

どっちもウザいけど母がマシと判断した子ども

子どもを叱ることをせずあまやかすモラ夫と、従順にしたがう息子という
あいかわらずの生活を送っていると思っていたわたしはビックリしっぱなしでした。

部活に行っても行事に行ってもスルーされるからさすがに悲しかったのよと伝えると、

「友だちの前でカーチャンと話せるか!」
とのこと。

でも、面談とか親が行かないといけない場面もあるし、父と母どっちに出てほしいのか聞くと、
どっちもウゼーと答えて話にならず、どっちか決めてとせまると、

「オマエ!!」
だそうで。

なんか分かんないけど、

ウザいけどウザいと言えない父はストレス大、
ウザいけどウザいと言える母のほうがストレスが少ない

そんなふうに判断したのかなと思いました。

子どもがふつうの感覚でよかった

子どもを一人とられてしまったと意気消沈していたけど、
15年も耐えた愚かな母のようにはモラハラ人間の異常さ不快さに耐えられなかった子ども。

15歳にもなると、親権の決定なんかも本人の意思が尊重されるから、
モラハラ親はイヤだというまともな感覚をもっていてよかったと心から思いました。

もし家を出ずにあのままモラハラ生活を続けていたら…。

母親自身はモラ夫の支配をあまんじて受け入れガマンしていながら、
子どもには本当のモラルはちがうのよと教えても説得力がないですよね。

他者を傷つけ続ける人間は、たとえ家族でも許されない。
自分を守るために、自分を大切にするために、攻撃してくる人間を決して受け入れてはいけない。

どうかわたしのメッセージが子どもの深いところに伝わって、
モラハラする人間にもされる人間にもならないでほしいと願わずにいられません。

コメント

error: Content is protected !!