離婚の理由によくある「価値観のちがい」について考えてみました。
たしかに価値観がちがうと、結婚生活を送ることはむずかしいですよね。
歩み寄り・ゆずりあいの気もちををお互いに持ちあわせてないと、どちらかだけがガマンすることになって、ある日破綻するんでしょう。
だけど価値観がまったく同じ人と出会うことってなかなかない。
同じ環境で育った家族でさえ、価値観がちがうこともありますからね。
それでも、価値観が多少異なる友だちとつき合うことも楽しいように、夫婦だって価値観がちがうことがあっても、自分とちがう意見に興味をもって耳をかたむけたり、配偶者への愛情や敬意だったりギブアンドテイク思考の良心だったり、そういうことでみんな乗りこえているんだと思います。
と、ここまで考えながら書いていると、
「そういうことだから、モラハラ人間は価値観がちがうことを認めないんだな」
と自分でもあらためて納得できました。
モラ夫は、自分の意見とちがう意見には興味をもたないから耳をかたむけない。
配偶者への愛情や敬意をもってない。
ギブアンドテイク思考?良心?
そんなもの持たない人間だからモラハラするのですから。
そういうカラクリを知ったうえでまわりの友だちの家庭を思い出してみると、なるほどふつうの仲良さげな夫婦は価値観がちがうように見えても妻を尊重していることがわかります。
「妻のおかげで仕事できるから、かせぎの半分は妻のものだよ。」
とねぎらってくれる殊勝なダンナ様が、マジで何人もいるってことに驚愕しました。
妻はランチ三昧、母子だけでディズニー旅行、夫はお金使う趣味がないのにそんな妻に文句言うどころか
「がんばってくれてるから当然」
と笑って話してる!
また結局お金の話になってしまってるのが不本意なんですが、妻に敬意なんてこれっぽっちも持たず、オレの金を使いこむ悪者とみなし経済的DVまでするモラ夫となぜこんなに思考回路がちがうの?
やっぱりわたしの努力が足りなくて、なにか劣っているのかな?
妻をパートナーとして人間らしく対等に接してくれる友だちの家庭との境遇のちがいに泣いたよね…。
わたしの意見はまず認められず、だんだん意見を言うことすらできない雰囲気にさせられていったあのころ。
わたしはお色直しは1回でいいと言ったのに、
「まわりにそんな人はいなかった。みんな3回着替えたのに恥ずかしい」
とモラ夫の意見が押し通された結婚式。
「部活で遠くに行くこともあるし、帰りが遅いこともあるから、変速ギアとオートライト付きのほうが安全」
だと言ったのに、
「そんなの自分でがんばればいいことだから贅沢」
と却下されて2万円しか出してくれなかった、子どもの自転車買い換え。
(交通事故の心配を少しでも減らしたくて、1万円ほどわたしが差額を出して機能付きを買ったけど)
家を建てた時、リビングのエアコンをわたしにまかせたら20万円もかかったと後々まで文句言われました。
今までの自分の経験によるとエアコンに10万円以上かかるはずがないという理論で。
「いや、せまい部屋用エアコンの値段でしょ?」
と言っても聞く耳なんてありません。
そして、こういうことを友だちに相談すると、
「価値観がちがうといっしょに暮らせないよね。」
と同情されます。
う~ん、価値観がちがっても、つきあっている友だちはたくさんいるし、わたしの親とも価値観がちがうことは多々あるけど苦しい気持ちにはならないし関係も破綻しませんが…。
ようするに、モラハラ人間は「価値観のちがいを認めない」のはもちろん、「価値観を押しつける」んですよね。
「こうだから!以上!反論は聞かん!」
一方的に言い放つだけだから、ゆずりあいも歩み寄りもない。
だから、価値観がちがう人と結婚するのは大変かもしれないけど、ぜったいムリってことではないのです。
ヤバいのは、「価値観を押しつけてその他を認めないという性格の人間」で、モラハラ人間というのは一事が万事そうだから、結婚生活を続けるにはガマンの連続になります。
そもそも価値観のちがいは誰でもあるでしょうけど、相手を尊重する気持ちがあるのなら、話を聞いたりと歩み寄りはするはず。
あなたのパートナーにそんな姿勢はありますか?
といっても結婚前にそれを見抜くのはむずかしいですけどね。
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